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2007.04.14 Sat
「写真家とは何者なのか」大竹昭子
「写真家とは何者なのか」大竹昭子
(ニコンサロンブックスー27「現代写真の系譜」2000年12月刊)
(前略)
この世に存在するものをとらえるというのは 言い方を換えれば、現存するすべてのものは写真の対象となりえるということだ。そのことは 集められた写真を見てもわかる通りである。
とても 一言では語りきれないほど さまざまな 写真が混在している。共通することは「すべてカメラで撮られている」という一点だけのように 見える。写真に撮るものがこんなにもあることに、だれもが新鮮な驚きを覚えるだろう。
戦後50年以上ものあいだに 国内外の「現実世界」のありさまは大きく変化した。
ここに展開された多様性はわたしたちの社会の多様化の反映であり、同時にそこに生きる人々が感じ発見していることの多様性も示している。
またこの多様性は 写真表現の成熟を示しているとみることもできよう。かつて写真家は「撮るに値するもの」を撮らなければならなかった。人の知らないものや知るべきことを伝えるのが使命だった。いまは そのような価値基準はない。被写体の価値は撮り手が見出すものであり、社会が決めるものではなくなった。「現実世界」にあるものはみな 等価な存在で 撮られるに値するということが 社会の共通認識になっている。
ここに登場する写真家のほとんどが戦後に活動を始めた方々である。長い人で50年以上のキャリアがある。わたしは掲載されている一点一点よりも 彼らが写真を撮り続けてきたという
事実に魅了される。撮りはじめてからいままでどのような軌跡をたどってきたかを想像すると、持続の重みに圧倒されずにはいられないのだ。
写真は理屈でも知識でもない。現場に立ってシャッターを押すことが写真の出発点であり、同時にそれが行き着く先でもある。その意味ではじめも終わりもなく連続していく孤独な作業
であり、百戦錬磨の写真家でさえ「現実世界」に身をさらしつづける不安を抱いている。だが、その不安が写真の生命でもあるのだ。すぐれた写真家ほどハラハラドキドキすることに長けている。またそうなる場面をうまく演出して自分を挑発することを知っている。成熟とは無縁の「青さ」が写真家のエネルギーなのだ。
(続く)
| エッセイ
| 05:56
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