森山大道氏の 森山大道 自費写真集 「記録 第6号」を 記念しての トークショーを聞きに 表参道までいく。
聞き手は 長澤章生氏 であった。
<・写真集『にっぽん劇場写真帖』(室町書房 1968)
・共著『まずたしからしさの世界をすてろ』(田畑書店 1970)
・写真集『写真よさようなら』(写真評論社 1973)
・写真集『狩人』(中央公論社 1973)>
「写真に対する思いが過剰だった。それが からまわりし
肉離れをおこす そういうことだったのではないか。
もっと 写真にストレートになりたい。 そんなふうになっていった」
会場の質問にたいし
「名取洋之助氏からは 森山は 写真というものを きたなくした。 いっていただいて ありがとう と 思っている」
(テープお越しではなく メモから起こしているので 正確な記述ではありません)
今回の 自費出版「記録 第6号」の展示をみる。
ご本人のモノクロプリントである。
全体に 濃度があさいなあ と 思った。
「森山さんは あらいのではなく 荒くないが 精緻なプリントですよね。薔薇刑を 助手で手伝っていましたし」とは 友人が いつもいっている。
といわれても 白から黒への グラデーションに 基を おくなら そのグラデーションの 創造こそが モノクロプリントといわれる範疇のものなら 森山氏の展示は やはり 濃度があがっていないというか 浅いなあ と 感じる。
「記録 第6号」の 印刷物のほうが はっきりと 濃度があり 黒がしっかりしまっている。
森山さんは いわゆる モノクロプリントの白から黒への グラデーションというものがあるとするのなら 常に こわしてみる そこから 始めているのではなかろうか と思う。
まず 疑ってみる。こわしてみる。
そして そこから なにがたちあがってくるのか 見ようとしている。
そんなふうに 感じた。
これがモノクロをつかった 表現なんですね。と いわれても
そこがよく わからない。 型にはめこんだ モノクロは
すでになく おのおのの モノクロが そこにはあるのだろう。
こわしてみることに よって 見えてくるもの
森山さんの プリントに それを 感じた。
※上記は 自分の感想であって ひとつの 作品群(今回は「記録第6号」ですが それぞれに 感じてたり 受け止めてくださいませ。自分が 感じたことを 書いたまでで
たぶん まったく 違うことを 受け止めたりすると 思いますから。
森山さんの 自費写真集 「記録 第6号」については
下記を ご参照くださいませ。
http://www.moriyamadaido.com/top.html