2007年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年11月

≫ EDIT

大つごもり (12月31日)

大つごもり とは  大晦日のことをいうらしい。

 明治の 樋口一葉 という女流作家に「大つごもり」という作品がある。昔によんだので、おぼろげにしか 覚えていないが。
それであっても 樋口一葉は 没落した家族の家計を文筆でささえようと また (それには時間がかかるので 駄菓子屋をやってみたりすのだが) 母 妹 をささえることは 彼女の肩に重たくのしかかっていた。

 大つごもりの日、家には 正月をむかえる餅すらもない。あるのは 大つごもり の日には返すといった 借金 であろう。
いくたの病気をかかえていた樋口一葉。肺結核で 25歳で亡くなる。作家生活は たったの14ヶ月といわれるが...

 話し変わって 演歌の話。一度日記にかいた 村田英雄「王将」 関西の棋士「坂田三吉」をテーマにした歌である。
この歌詞に「やぶれ長屋で今年もくれた。愚痴もいわずに 女房の小春 作る笑顔がいじらしい」とある。

「やぶれ長屋で今年も暮れた」という文句を口ずさみ、わたしは そうでもあるかな と一人 愚痴っているな。


 大つごもりの日を迎えて 身をあらたにし(大掃除など) 新しき年をむかえるのだが、そんなあ 大掃除にも手をつかず
なんと 今 年賀状を 必死で宛名をかいている
(元日につかなくて すいません) むかしなんか 新年 3日めかなんかにつくって「正月をどうすごされましたか」という年賀状をつくっておくったこともある。もらったほうも 着くのが遅くて 返事をかくにも こまっただろうな。

 

 今年は 4月から 写真家尾中浩二さんの主催の「土曜塾」に参加。また 両国さんからの招待で ミクシィをはじめたのは 5月から。 大坂での初個展は 9月下旬。新潟中越長岡市での小写真展は 10月。大つごもりで いちおうのけりとはならず、今日という日を迎えてみれば やりのこしたことは たくさんあろうね。

 ミクシィ そして個展を をはじめとして 多くの出会い。
多くの出会いに 感謝したい。

 
 みなさまがたが よき新しき年をむかえられん ことを 願っていますですねw

| 日記 | 10:55 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

☆ 思うこと (自作詩ですかね)


都に甍(いらか)をかまえ

ひとぞ住む。

汝(なんじ)の瞳にうつりしは、人の栄華、

悲哀の涙。


とこしへの甍のはずれに桜がさくという。

花のうつろいは、いずくにぞ、散る。




ながすは 滂沱(ぼうだ)の涙。

| 日記 | 08:21 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

方丈の記録 ☆ 鴨(かもの)長明


ゆくかわのながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまるたるためしなし。

世の中にある人とすみかと またかくのごとし。

たましき都のうちに棟をならべ、甍(いらか)をあらそえる高き賎しき人々のすまいは、世々をへて、つきせぬものなれど、これをまことかとたずぬれば、昔ありし家はまれなり。

あるいは 去年(こぞ)焼けて、今年作れり。あるいは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。

所もかわらず、人も多かれど、いにしへ見しひとは、ニ 三十人がなかに わずかにひとりふたりなり。

朝に死にゆうべにうまれるならひ、ただ、水のあはにぞ似たりける。

知らず、生まれ死ぬ人いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また、知らず、仮の宿、たがために心をなやまし、何によりてか目を喜ばしむる。

そのあるじと無常を争うさま、いはばあさがほの露にことならず。あるいは、露落ちて、花のこれり。残るといえども、朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて、つゆなほ消えず。消えずといへども、夕を待つことなし。

| エッセイ | 15:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

諸行無常 (平家ものがたり)


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。

おごれるも人も久しからず、ただ春の夢の如し。

たけきもの遂に滅びぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ。

遠く異朝をとぶらへば、秦の超高、漢の王奔、梁の周囲、唐の禄山、これらは皆旧主先皇の政(まつりごと)にもしたがはず、楽しみを きはめ、いさめを思いいれず、天下の乱れむことを さとらずして、民間のうれうる所をしらざっしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。

近く本朝をうかがうに、承平の将門、天慶の純友、康和の義信、平治の信頼、これらはおごる心もたけき事も 皆とりどりにこそありしかども、まじかくは六波羅の入道 先の太政大臣 平朝臣(あっそん)清盛公と申しし人のありさま、伝え奉るこそ、こころも言葉もおよばれね。

| エッセイ | 14:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

種田山頭火

種田山頭火

☆ ネオン坂(ねおんざか)


--------------------------------------------------------------------------------


七月三十一日

(前略)

午後、道後へ出かけたのが失敗の基だつた、一週間ぶりにひつかけたので悪酔して、無茶苦茶、いつもの無軌道ぶりを展開した、財布もなくなるし、恥も外聞も忘れるし、たうたう交番の厄介にまでなつた!
それでもどうやらかうやら戻つてくることは戻つてきたが。―

愚劣、愚劣、愚劣といふより外ない!
どうして私はこんなに弱いのか、あまりに弱い、弱すぎるではないか!

前後不覚、自他忘失、……ああ!

種田山頭火「松山日記」より

| 日記 | 09:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

友人への手紙



☆☆☆☆☆☆☆☆


「親鸞におもう」


親鸞さんは、晩年、教行信書を書き上げるため、関東をはなれ、京都にむかう。

関東で、かれは、法然の他力門をつたえる仲間をつくりあげた。

そこで、京都にもどるときに、関東に他力門をつたえるために、息子を派遣した。が、どうもおかしい。わたしが、考え伝えてきたことと違うことが、関東から伝わってくる。

そんなことはいっていない。曲解、念仏門の浅はかな理解....

なんでそうなったのかを調べたら、元凶は息子だった。

親鸞は、なみだをのんで、この最愛の息子に絶縁状をおくる。

この親鸞の親という情のからみ(煩悩なんですが)の中での苦悶にみちた息子への絶縁状。息子は破門されたのですが、かえって、関東の信徒は、結束をかためた という。

この経過をみていたらしいのが関東の 唯円 なんですが、
親鸞なきあと、唯円が 親鸞の言葉 というべき 「嘆異抄 (たんいしょう)」を書き上げる。

嘆異抄は、鎌倉時代の新仏教の理念、浄土門の理念をつたえるに、深い書物でありましょうね

| 日記 | 09:25 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

16,17,18日と 大阪にいました。その日記です。


<16日(土)> 

現 BEATS GALLERY の LASTの展示のことを日記に 書いてから、これは、やはり、現場で見なければと、とやの思いに駆られて身支度。
大阪への新幹線にとびのった。

現 BEATS GALLERY のLASTの展示を 見ることもそうなんですけれど、なぜか 急に大阪へいきたくなったのも 理由のひとつですね。

東京駅(午後6時過ぎ)→新大阪(8時50分)→新今宮
いつもの、大阪・新今宮、1800円の個室3畳(鍵つき・せんべい布団なんですが)に、2泊の宿をとる。午後9時過ぎでした。

ここは 駅から徒歩3分の好立地。また、この12階だてのベットハウスの横が、大きな駐車場のため、さえぎるものがなく、定宿の7階の部屋からは 新今宮駅そして 天王寺界隈、その向こうにライトアップしている通天閣が.....

通天閣に挨拶したあと、ビーツヘ、ビーツ10時着。
ラストの展示、そして明日の仮葬パーティーの話題でひっきりなしのビーツの皆さんにお会いする。もちろん、okajimaxs さん、伊予の餅さんにも。その後、おそくまでやっている、宿のそばのお好み焼きやさん(9月個展のとき、夜はよくここでしたね)に顔を出して、宿に帰る(午前1時過ぎでしたが)



<17日(日)>

朝っぱらから、釜、西成、飛田新地、じゃんじゃん、と 新世界の裏通り、と、モノクロ散歩写真。

新世界の近くの洋服屋さんにおじゃましたとろころ、ここのご主人、大阪のアマチュア写真クラブの人で、60歳過ぎで、20歳ぐらいから、モノクロ一筋で、写真を焼いていらっしゃっる。とても 深い世界だなあ、と思う。
安井仲治さんや、大阪の写真家さんのお話をいろいろとお聞かせいただきました(後日、詳しく書きます)。

午後は、ビーツヘ。 ラストワーク、仮葬パーティにまぎれこむ。午後8時過ぎごろ私は、つかれきって退散する。
(翌日聞いたところによると、朝6時ごろまで、宴(うたげ)はえんえんとつづいたそうだ)


<18日(月)>

宿を引き払い、また、西成から地下鉄で 南久宝寺へ。
南久宝寺町はビーツギャラリーのあるところですね。
南久宝寺で、モーニング。ビーツにわすれものをとりにいき、
現ビーツにしばしの別れのご挨拶をする。

それから、曽根崎界隈、梅田へと。

新大阪、こだまにのり(こだまの得々切符ですが)、午後5時
30分に東京駅です。
銀座の今日から始まった、NIFTY フォーラムの写真の会ですか、MIMIさんからの招待状をいただいていたので、オープニンブに参加する。2次会をへて、自宅へ。11時すぎ無事帰宅ですね。

明日は、舞台撮影の仕事。これがなければ、もうすこし、大阪1800円の宿にいたかったのですが。残念なことです。


※ 携帯から、何点か、この3日間の写真を、拙ホームBBSにはってみました。携帯からの投稿のしかたが不慣れで、向きが逆ですが。ここにはった3点の写真、WEB上ですが(プリントにはデータ量がすくなく不向きですね)、この3点、実は、わたし気にっていますね。まあ、お時間があるときに見てくだされば幸いですがw ♪

http://bbs11.fc2.com/php/e.php/nemuri-tarou/

日録は、主にモノクロフィルムで、そして デジタルが サブでやっていますですw ♪

拙BBSの写真をクリックすると大きな写真となります。
このあたりも、まったく不慣れなんですが。




| 未分類 | 01:41 | comments:49 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

BEATS GALLERY VOL.1


天国に一番近いギャラリー BEATS GALLERY 第一期(?)の最終展示企画が今日終わる。


☆ BEATS GALLERY 
http://homepage3.nifty.com/beats-gallery/schedule/2006/12-13-16.htm


BEATS GALLERY は、ここを閉め、来年は、あたらしい場所へ。

拙初個展「イロハでホヘト」はここでなんですが、大変おせわになりました。

展示の留守番をしていて疲れたとき、階段の上の椅子で、大阪のビル街をながめながらの、いっぷくが、昨日のことのように
思われる。

BEATS は、来年、よそうおいも新たに(?)、新しい場所での新装オープン。大いなる飛躍を期待していますですw ♪






※ ビーツのBBSに書き込んでみました。 



9月下旬には拙展「イロハでホヘト」大変お世話になりました。

ここ 天国に一番近いギャラリーでの、展示はこれで最後となるのですね。

勝手に命名すると “ BEATS GALLERY VOL.1 2001-2006 "

ですね。

そして 第2章 “ BEATS GALLERY VOL.2 2007−”へ。

この企画 私がきづくのが遅く、大阪に顔をだせなかったですね(汗

では、また、今度は 新しい BEATS でお会いしたいと思います。 




| 日記 | 15:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

映画「ヤカオランの春」


秋葉原千代田区男女共同参画センターMIW(ミュウ) に、
ドキュメンタリー映画・ヤカオランの春」を見にいく。



☆「ヤカオランの春」について

アフガニスタン。さまざまな国の侵略をうけ、いくたの血がながれた独立の運動。また、為政者タリバン (イスラム 原理主義派)の圧制の地でもある。

アフガニスタンの故郷「ヤカオラン」から、命からがから、パキスタン、難民キャンプに、脱出した 教師の 難民キャンプでの、最後の授業とは.....

監督 川崎けい子/中津義人

http://www007.upp.so-net.ne.jp/movie/information/infomation_intro.html 



この映画をとられた 川崎さん、中津さんがこられていた。

映画上映(今回はビデオ上映)の後、座談会がある。

最後に司会の方が、川崎さんに「今でも、アフガニスタンで次のドキュメンタリーを制作してますが、その、川崎さんのモチベーションはどう、つくっているのでしょうか」

川崎さん「(こうしようというのではなく)アフガニスタンに行くと、人々に会うと、心が落ち着く。アフガニスタンが好きそれだけなんですけれど」

私「制作費の捻出とかどうしているのですか」

川崎さん「とても大変です。教職員組合のご協力とかですね。できれば、この映画の上映かとか、ビデオになっていますので、図書館でリクエストしていただけるとか、とても助かります」

(文中の言葉は、拙、意訳ですが)


ドキュメンタリーを作る。映画をつくる。その土地に通う。

そこでの出会い。伝えたいという思い。

制作費などの捻出は大変なご苦労だとおもいますが、

この映画の続編、来年春なんだそうですが、見させていただきますし、上映会(入場料が、制作費となりますが)に、友人をなるべく 誘いますですね。

                この項 続く。







今日の夜は、okeke-okeke さんと 飲む予定ですねw ♪

楽しみですね。

 



| 日記 | 10:15 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

♪ ギターが友達 ♪


歌詞は、著作権なので、転載には許諾が必要なので、以下は、ゲリラ的なので、後日、削除もあるかもです。

(わたしの写真を将来きにいっていただいて、コピーする場合は、
使用料とかの問題ではなく、コピーしてもいいのですが、
撮影 津田賢治 とのみ、お書きくださると、うれしいですね)






♪ ギターが友達 ♪


作詞 作曲 歌 豊田勇造



子供のころ 空は高く
道は広く 父は大きく
船乗りを夢見た外国航路
ほんとうのことは わすれたけれど

誰がひいたか ギターがあった
ラジオとひいた レコードと歌った
船乗りはカーボーイにとってかわり
ほんとうのことは わすれたけれど

それからは ギターが友達
たぶん ずっと友達



15のときの3つの誓い
酒もたばこも女もやらぬと
二つまとめてまずはやぶれ
ほんとうのことは忘れたけれど

高い敷きやっとまたぎ
うしろでに閉めたのは夜だった
あとから聞けば 親は泣いていたそうな
ほんとうのことは わすれたけれど
それからは ギターが友達
たぶん ずっと友達



赤い寝袋 ギターを持って
地下道で寝た 道で歌った
ポリ公に追われ 子供に笑われ
ほんとうのことは わすれたけれど

北はオホーツク 網走の雪
南は琉球 コザの夜
男と飲んだ 女と笑った
ほんとうのことは わすれたけれど
それからは ギターが友達
たぶん ずっと俺の友達



船乗りのもならず カーボーイにも
親を泣かせて 今ここにいる
でも 後悔なんてしないよ
ほんとうのことは 忘れたけれど

くたびれるのは人だけではない
太陽も水も土でさえ
ギターよ今夜を飛ばせておくれ

本当のことはわすれるけれど

これからもギターは友達
たぶん 俺の友達

これからもギターは友達
たぶん 俺の友達




★ CD 「走れアルマジロ」― 豊田勇造拾得』ライブ ― より










≫ Read More

| 日記 | 14:24 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

カラオケに行く


また夜遅く カラオケに行く。

歌う曲はこれですね。

とても好きな歌なので、歌詞をのせる。

しかしながら、歌詞は、著作権なので、転載には許諾が必要なので、以下は、ゲリラ的なので、後日、削除もあるかも。

(わたしの写真を将来きにいっていただいて、コピーする場合は、
使用料とかの問題ではなく、コピーしてもいいのですが、
撮影 津田賢治 とのみ、お書きくださると、うれしいですね)




☆ 長渕剛 「とんぼ」 ☆


 作詞 作曲 歌 長渕剛




コツコツとアスファルトに刻む足音を
踏みしめるたびに
俺は俺で在り続けたいと そう願っていた

裏腹な心たちがみえて やりきれない夜を数え
逃れられない闇の中で 今日も眠ったふりをする
死にたいくらいに憧れた 花の都“大東京”

薄ペッらのボストン・バック 北へ北へ向かった

ざらついたにがい砂を噛むと
ねじふせられた正直さが
今頃になってやけに骨身にしみる

ああ しあわせのとんぼよ どこへ
お前はどけへ 飛んでいく
ああ しあわせのとんぼが ほら
舌を出して 笑ってらあ


明日からのまた冬の風が 横っつらを吹き抜けていく
それでも おめおめと生き抜く 俺を恥らう
裸足のままじゃ 寒くて 凍りつくよな夜を数え
だけど俺はこの街を愛し そしてこの街を憎んだ

死にたいくらいに憧れた 東京のバカヤローが
知らん顔して黙ったまま 突っ立っている
ケツの座りの悪い都会で 憤りの酒をたらせば
半端な俺に 骨身にしみる

ああ しあわせのとんぼよ どこへ
お前はどけへ 飛んでいく
ああ しあわせのとんぼが ほら
舌を出して 笑ってらあ

ああ しあわせのとんぼよ どこへ
お前はどけへ 飛んでいく
ああ しあわせのとんぼが ほら
舌を出して 笑ってらあ


| 日記 | 10:20 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

写真家のトークショー 横木安良夫 さん と ハービー山口 さん 


またまた、他の日記につけたコメントを、まるごと、ここに載せますですねw ♪


他の人の日記というのは、横木安良夫さん の 12月8日のブログに、なんですが。
 

http://alao.cocolog-nifty.com/the_eye_forget/2006/12/post_ff00.html


同じ文章が、MIXIに転載されており、そちらのほうの日記のコメント欄に、コメントをいれたのですが。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


12月6日の トークショーと交流会にでました眠り太郎こと、津田賢治です。

トークショーのなかのまとめかなにかで、横木安良夫さんは、「本当の美とはなんだろう。幸せとはなんだろう。(父がジャーナリストなので子供のときからそんなことを)また、疑ってかかるほうなので。私は目に写(うつ)らない何かを写したいと思っている」ハービー山口さんは、「幼稚園・小学校での病気を体験して、いじめる人にもいて、美しい心をもちたい、それを写真で撮ることによって、人々に伝えたい。そう、高校の時思った。私は、今の年まで、その気持ちと、写真はかわってはいない」と言ってました。

ひとつのありようを決め、その一貫性をもつ写真を撮るハービー山口さんと、「あちらこちらに対象がうつっていく」横木さん、お二人のお話を聞いて、なにかをしっかりもっての何十年の写真というありようでもいいし(一般にできることではなく強い意志を感じさせられたのですが)、あちらこちらと対象を変えて(実はその内側は一貫していることと思っていますが)いく写真家さん。

ああ、写真ってこうでなければならない、なんて、ちょっと考え過ぎていた自分が、トークと、2次会で、とても、肩がほぐれていくのを、感じました。
トークという機会を、また、2次会という機会をつくっていただき、ありがとうございました。

最後にですが、横木安夫良さんの今回の個展のご成功を願っています。

(かぎ括弧の中は、眠り太郎の意訳だということを お断りいたします)



≫ Read More

| 日記 | 19:37 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

演歌と沖縄民謡とカラオケ


ある人のブログ日記につけたコメントですね。よろしくですね。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ここずっと、カラオケにかかわる写真を頼まれて、ここ数年撮っています。もう、この撮影は、朝から晩まで、ムード歌謡と演歌の世界でして、アマチュアから、プロの歌い手さんまで、
聞きながらなので、自然に耳ができてきたしまったのでしょうね。

拙日記にも書きましたが、村田英雄の「王将」や、古河メロディーの「無法松の一生」とか好きですが、この辺になると、歌いまわしはすごいむずかしいですね。村田英雄、かっこいいなあ、と思っていますね。あと鶴田浩二とか、石原裕次郎とか好きですね。

沖縄にはなんどもかよっていて(いわゆる沖縄病なんですが)、4年ほど前から、沖縄民謡の三線(さんせん)を買って、平安隆三線教室などにいってます。今はいけていないけれど......

コツをつかめば、カラオケで沖縄民謡を歌うのは楽ですね。
なんせ、自分で三線をひきながらは、三線は、歌の音程と違う旋律を引くことがあり、ここが、うまく歌えず(歌うと三線がとまる。三線に気をとられると、歌がでてこない など) 三線の練習はここでとまっていて、先にすすでいませんですね。

カラオケは、歌うだけでいいのですから。
歌うのは「わらび神」(古謝美佐子バージョン)「ちむがなさ節」「海のちんぼーらー」(座敷歌)「満月の夕べ」(平安隆)
沖縄の童謡などですね。

関西公演もやっている、平安隆さんおすすめです。平安さんに東京の津田君といえば、わたしのエピソードいっぱいしゃべってくれることでしょうね。

| エッセイ | 08:54 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

2007年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年11月